一昨年の6月2〜3日に、サークルOB会の総会がありまして、翌日に二日酔いの頭を抱えながら、市内の
西国札所を回り始めました。
既に坂東33所・秩父34所を満願しておりますので最後に残った本家の西国33所を廻れば日本百観音
霊場満願を果たす事になり、15番の今熊野の観音寺を打って(札所を廻る事を当初木札を打ち付けた
事から打つと言うようになった)、次の17番六波羅蜜寺の本堂に上がって納経帳を差し出している時
でした。

一瞬のざわめきとともに異様な装束の一団が訪れ、直ぐに本堂前に位置し、すぐに何やら呪文如きを
始めました。すると本堂や周辺にいたお寺の関係者もその周りに集まり、熱心にその集団を見つめて
います。

  


私も最初は何やら訳が分からなかったのですが、次の瞬間『これが比叡山の千日回峰で京都市内を廻る
やつか』と理解できました。
しばし呆然と本堂の浜縁に正座し見つめていましたが、恐る恐る2枚だけシャッターを切りました。
その直後、お寺の方に『兄さん、加持してもろたらよろし、行者さんに会えるなんてめったにおへん
で〜』と言われ、下を振り向くと参拝者や近所の皆さんまですでに20人くらい地面に膝を着いて頭を
垂れています。
その末尾に慌てて加わって、回峰行を今まさにしている行者さんに頭をコンコンと叩かれ加持を受け
ました。

その間、約5分!! 正に一陣の風のように行者とその補佐役と信者の集団は次の社寺へ行ってしまい
ました・・・・・・

                  §§§§§
千日回峰とは、千日間連続して叡山の山を何十キロも駆け回る荒行と考えがちですが、実際は以下の
ように7年がかりで断続的に行われるものです。
但し一度この修業を始めると途中で断念することは許されず、常に自刃用の小刀と首吊り用の紐を
持ち、正に命がけの荒行と言われています。 つまり断念=死を意味します。
如何に強固な信念を持っても個人ではその達成は難しいらしく、その行者を補佐する者と行者をバック
アップする信者集団があって初めて為し得る偉業とも言えるでしょう。
私が遭遇した集団とは、行者をサポートする信者集団らしく、叡山の峰々の回峰は無理なので、京都
大廻りの際に一緒に着いていったものと思われます。

   「現在行われている千日回峰行の形態」
第1年目 100日を歩く(   1〜100日) 山上山下の行程(一日約30キロ歩く)
第2年目 100 日を歩く(101〜200日)        〃
第3年目 100日を歩く(201〜300日)        〃
第4年目 200日を歩く(301〜500日)        〃
第5年目 200日を歩く(501〜700日)        〃
     700日を満じた後は直ちに「堂入り」
     無動寺護摩堂にて9日間断食・断水・断眠し念誦修法に専念。
第6年目 100日を歩く(701〜800日) 赤山苦行100日(一日約60キロ歩く)
第7年目 801〜900日までは 「京都大廻り」(一日約84キロ歩く)
     100日を歩く(901〜1000日)山上山下の行程(一日約30キロ歩く)
最後の100日は75日をもって満行とする事が古例(残りの25日は一生かけての修業の意)。

 

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